十二支と日本人

十二支が日本に伝わったのは、六世紀半ばとされていますが、そのときにはすでにお馴染みの十二支獣のスタイルが成立していました。暦法の論理として本来の意味の干支とともに宮中や寺院の奥深く秘伝・秘術として伝えられていきましたが、江戸時代には広く一般に流布し、十二支=十二支獣として普及するうちに、十二支に配当された動物のイメージの方が強くなっていきました。十二支獣のイメージに迷信、盲信も加わって十二支占いもまた私たちの生活に深く根を下ろしていったのです。

私たちの生活の中にも干支や十二支に関係する言葉はたくさんあります。地球の北極と南極を結ぶ経線『子午線』や、『午前』『正午』『午後』、『東南辰己の角部屋』や『戌亥の蔵』、大正13年甲子の年に完成した『甲子園球場』の命名の由来も、みな十二支が年や月や時間、方位を表すことに由来します。十干と十二支の組み合わせは60通りです(60干支)が、生まれた年から数えて61年目に、その人が生れた年と同じ干支の組み合わせが巡ってきます。これを『還暦』と称し、赤子に戻って出直しの意味で赤い頭巾に赤いちゃんちゃんこを着てお祝いをする習慣も干支に由来するものです。

▼十二支配当図