聖徳会

第28回 長編 指示待ち族と占いブーム 第三編

『占い』は、用法次第で毒にも薬にもなる素材。占いは悪用すれば最悪の毒になり得るものです。占いは、本来、情報を得る為に使用される手段です。確固たる自己があってこそ有効に活用し、使いこなせる道具です。しかし、指示待ち族にとっては麻薬でしょう。次第に依存度が高くなり、そして中毒になっていきます。

指示待ち族は『占い』というものに、非日常的な神秘性を見出だしているようです。 普通ではない、超常的な、神秘の世界として、占いという行為を、特別な人が特別な能力によって行う特別な事…『超能力』のなせる技であると勘違いしているのでしょう。これは、占いに携わる側が、あえてそのように見せていることも否めませんし、またそれがウケルからという理由でマスコミがそのように演出していることにも原因があるでしょう。 通常の手段(日常の常識的な手法)では、不可能に思えることを可能にする、神秘に満ちた魔法の世界…しかもそこには『こうしなさい』という指示がある。それが彼等にとっての占いという世界でしょう。

彼等は、占いの結果における凶はノーでありストップのサイン。吉はイエスでありゴーのサインであると解釈しているわけですから、それは実にシンプルで判りやすい指示なのです。そこでは自分自身が『選択』という行為に携わる必要がないのです。しかもそれは彼等にとってうざったい『他人』が出した指示ではなく、『人』を超えた神秘の世界からのメッセージなのですから、『他人』の命令には従いたくない彼等でも従いやすいものなのです。しかも、自分が気に入った指令を選ぶこともできます。

『従う』というスタイルをとることで、自分自身の行動にエクスキューズとリスクヘッジをしながら、実は自分のやりたいことにゴーサインを下してもらえる実に都合のいい存在なのではないでしょうか。

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